活動記録 2003
2003年度 フィリピンスタディツアー報告書
井原 淑雅
12月18日より24日まで、フィリピン共和国パナイ島アクラン州リバカウ市に於いて高校生9名と大学生1名の計10名にてスタディツアーを実施する。出発当日は、遅い時間のフライトであったため、フィリピン国際空港へ到着したのは午前0時ごろであり、そのままマニラ市内のホテルへ直行する。
19 日は、ホテルを10時に出発しマニラ市内にあるCIWEST財団事務所を訪問する。事務所では、理事長の宮本俊氏より参加者に対して、ツアー中の心得や日本経済の現状についてなどレクチャーを受ける。その後市内にあるスペイン統治時代の遺跡、サンチャゴの要塞を見学した後、学習地であるパナイ島に向けて国内線ターミナルへ向かう。午後4時カリボ空港にて現地スタッフの歓迎を受け、用意していただいた車に便乗し、リバカウ市へ約1時間半かけて向かう。リバカウ市に到着した後、即座に市長を表敬訪問する。市長および市民より身にあまるほどの歓迎を受ける。この地は今回の活動中に判明したことであるが、第二次大戦中日本軍が農民を虐殺しながら進軍していった土地であり、老人たちの中には反日感情を抱いている者も少なくないと聞いた。この地に戦後足を踏み入れた日本人は我々が始めてと言う。そんな歴史を持った土地に、戦争も社会も自分たちのことすら知らない愚かな日本人に対して、暖かい気持ちで受け入れてくれたことに深い感謝の念を抱く。市庁舎を後にした我々は、各々ホームステイ先に向かう。今回は参加者が多かったため、二人で一家族にステイすることになった。ホストファミリーとして協力してくれたのは、市長を始め地元の小学校の先生たちが積極的に名乗りを上げてくれた様子である。その後子どもたちは各々のホストファミリー宅へと向かう。夕食は、全員が市長宅でご馳走になる。その後は、各々初めてのフィリピンの夜を各家庭で過ごす。中には、二時間ほどの現地語(アクラン語)のレッスンを受けた子どもたちもいたと聞いた。

20日は二つのホストファミリーが結婚式に参列するということで、四人の子どもたちも同席させてもらう。他の子どもたちも各々のホストファミリーとフィリピンでの初めての生活を体験する。中には日本食を料理しようと、ホストファミリーと共にマーケットへ向かい材料の準備をする子どもたち、片言の英会話と辞書を活用して、家族とのコミュニケーションを図った子どもたちなど思い思いの一日を過ごした様子である。この日の夜は八時に全員が市長宅に集合し、明日実施するドネイションの準備をする。ここのデイケアセンターに在籍する園児は65名、我々が日本から持ってきた文房具をすべての園児用に袋詰する作業をした。この際に2回目の参加者は昨年の経験を生かし、リーダーとなって他の参加者に指示を出し、約一時間程で手際よく作業を終わらせた。

21日は午前9時半より、旧センターにて園児たちの歓迎会を受ける。我々は、日本で寄付してくれたリコーダーを使って、「かえるの歌」を合奏し、感謝の気持ちを子どもたちに伝える。即興で実施したわりには出来は合格点であり、地元の人々の反応も盛況であった。その後、センターに隣接する小学校を訪問させていただき、教室内の様子やカリキュラム等について説明を受ける。昼食時には、市の退職職員を対象としたクリスマスパーティに市長の特別な計らいで参加させてもらう。日本の敬老会を彷彿させる様子である。この時は、子どもたちも老人たちも楽しく和やかなひと時を過ごすことができたと思われるが、中には冷ややかな眼差しで我々を見る老人の目があったことも事実である。しかし、我々を上座に座らせてくれて、食べきれない料理をもてなしてくれた人々の気持ちも忘れてはならない事実である。午後からは再びセンターに戻り、クリスマスプレゼントを一人一人の園児たちに手渡す。その際に園児たちからの感謝のキスが、何とも言えずかわいらしく、子どもたちも感激した様子であった。その後ゲームを楽しみ、最後に子どもによる「鶴」の折り紙教室を実施する。言葉は通じないが、一枚の折り紙を通してコミュニケーションを取る子どもたちと園児の姿を見ていると、人間と人間のつながりを感じずにはいられない。

日本には古くより「袖触れ合うも多少の縁」という言葉がある。つまり、人と人とのつながりが前世からの縁によるものである。そのつながりの糸を手繰って行けば「人類みな兄弟」へと行き着く関係を、我々は日常の生活の中で忘れてしまってはいるのではないかと思う。特に我々の住む高度情報化された日本では、人間と人間とがどこでつながっているのかも見えづらくなっている社会ではなかろうかと感じる。普段は携帯電話がなければ生きていけないと感じている子どもたちも、フィリピンへ来てからはまったく携帯電話などなくても、むしろないことのほうがより深い人間と人間とのつながりを感じているであろう。自分の持っている能力と言葉と体のみを頼りに、人と人との関係を築いていく中で、所詮我々は自分一人では何もできない存在であることを経験によって理解してくれたはずである。しかし、今回参加した子どもたちも、日本での生活・経験のみではどれだけ肌でそのことを感じることが出来るだろうか。互いに助け合って生きていく人間社会の基本を、日常の生活の中で感じることの難しい日本社会がまさに現代の日本ではないのだろうか。昨今の子どもによる親の殺害、親による幼児虐待・殺害など、人間社会の中での出来事であるとは到底思えない痛ましい事件が日々後を絶たない。今回フィリピンへ来る前に、あるフィリピン人にタガログ語で「あなたは、両親が好きですか?」を何と言うかを聴いたことがある。その時即座に返ってきた返事は、「あなたの質問は間違っている。」と言われた。初めは何が違うのかが、理解できなかった。彼の言わんとすることは、要するに「フィリピン人はみんな親が好きであるのは当然である。その当然なことを質問することは、あまりにもナンセンスである。」というのが、私に言いたかったことのようである。その当然ともいえる説明を聞いて、そんな質問をした私自身も、この日本社会の中で、どこかの回路が崩壊してしまっているのではないかという不安に陥った。しかし、この日本では私のみならず多くの人々が、人として当然の心を、当然と感じずに考えずに、場合によっては何かによって狂わされてしまった判断を、当然のもののとして受け入れているのかもしれない。このフィリピンスタディツアーを通じて、子どもたちが人としての当然の心や関係などに気づいてくれることができるだろうか。そんなことをフィリピンにいるといつも感じずにはいられない。その後子どもたちは、新しいセンターの完成式典に参加し、夜はリバカウ市で主催するクリスマスパーティに招待され、異国のクリスマス文化を満悦した様子である。

22日は午前九時にリバカウ市を出発。三日間お世話になったホストファミリーとのお別れである。ほとんどの子どもが家族・友人と記念撮影をしたり、別れを惜しんだりする中で、一人前日からの発熱で病んでいる子どもがでた。熱は多少あるようだが、嘔吐・下痢はないため単なる風邪と判断し、予定通り次の場所へ移動することを決定する。その時、彼女の傍を一時も離れずにいる女性がいた。彼女は地元の小学校の校長先生であり、熱を出した子どものホストファミリーである。彼女は涙を流しながら、具合の悪くなった子どもの様態を気遣い、心配し、自らの責任を強く感じ、心を痛めている様子であった。校長先生と話をすると察した通り、子どもか病気になったのはすべて自分の責任であると自らを責めるとともに、心から心配している。私はそんな校長先生に心配の必要はないこと、私が責任を持って引率することを伝えた。結局熱を出した子どもは、帰国後も3日ほど体調がすぐれなかったが、フィリピンでの最後の夜に私は次のような話を子どもにした。

「あなたは、フィリピンまで来て熱を出し、みんなのように楽しい思い出や記念撮影ができなかったことを残念に思っているかもしれない。しかし、あなたが熱を出し苦しんでいる傍らであなたの様態を心配し、涙を流すあなたのフィリピンのお母さんがいたことを知っていますか。たかが三日間世話をしただけで、ましてやあなたが自己管理できなかった結果、招いた病気であるにもかかわらず、あなたのことを心配し涙を流してくれる人が、あなたが初めて訪れた外国の地にいることを考えて下さい。そんな人の気持ちを感じ、気づくことができたのであれば、あなたは本当に良い経験ができたのではないでしょうか。」
その話を聞きながら、彼女は涙を流して頷いていた。多分、今回のツアーで一番良い経験をしたのは、熱で苦しんだ子どもであると思う。今までのツアーを通しても、楽しく良い思いでばかりでは、本当に学ぶものはない。苦しさ、辛さ、挫折感、失敗より人は多くのことを学ぶと思う。常にセーフティネットの準備された生活の中だけでは、何も学習できないと思う。このツアーから私自身も学ぶことが毎回多いと感じる。

22日の午後から23日の朝まで、フィリピン切ってのリゾート地であるボラカイ島で美しいフィリピンを満喫した。23日の午後には首都マニラに戻り郊外のスラムを見学の後、デパートにて日本との商品価格の比較実習を行った。子どもたちには、約一時間デパート内にて各自調査を行うこと指示し、集合時間と場所を伝えたうえで解散をした。そこで我々はひとつの試験を実施した。その試験とは、日本では集合時間に遅れないというのが原則であり、学校生活でも常に意識させている。時間を守ることは誰もが注意すべき共通事項である。しかし、海外ではどうであろうか。特に途上国などでは、時間厳守の認識が低い国も多い。その時に日本と同じ感覚で対処すると意識の齟齬につながり、結局は日本の物指してその国全体量る結果となってしまう。これは日本の常識が絶対論的な発想から、他国の常識・文化・制度などを判断する結果となり、それによってその国全体を非難、偏見、蔑視することにつながったりすることとなる。また、日本社会の安全性が、他国でも同様と勘違いし、自己防衛力の低い愚かな外国人と化してしまう結果、時には事件に巻き込まれる可能性もあると言えよう。
我々は集合時間十五分後に集合場所へ行くという行動をとってみた。その時に子どもはどのような行動を示すのであろうか、今回のツアーを通して子どもたちは自分たちの現状を把握できているだろうか、またその行動によってはこのツアーの目的がどの程度達成させているかを評価することができるとも考えた。結果は、約半数の子どもが集合場所にいない状況であった。集合している子どもたちにその理由を聞くと、一旦は時間に集合したが、私たちがいないため近くの店にショッピングに出かけたと言う。まったく愚かであり、現状把握ができていないと感じた。結局朝の説明で、昨日まで滞在していたリゾート地は比較的安全な場所であったこと、それに比べ今からはフィリピンで一番危険な街マニラに行く事を伝えたにもかかわらず、自分たちは海外の危険な地に今いる、ましてや言葉もろくに話せない自分自身であるという認識が低すぎる結果の行動であったと思う。ただそんな子どもたちを作ってしまっている理由は、常に日本では誰かに守られ助けられている現状であり、それは当たり前のこととなっている。さらに保護されているが故安全であることにさえ文句を言う若者に対し、自己責任を負わせることも、責任の所存を明確にすることもしない。そんな教育を行い、受けているのである。それは単に教育の問題や子どもたちの問題としてではなく、日本人全体の姿であることをこのツアーから感じた。また、子どもたちはこの経験より学習してくれれば、今回の試みは大いに意義あるものとなるであろう。

その後、現地スタッフを中心にマニラ湾にあるレストランにて、さよならパーティをおこなってもらい、フィリピン最後の夜を様々な思い出とともに楽しんだ。
24日は、早朝ホテルをチェックアウトし、空港に向かう。各自で搭乗手続きを行い、NW71便にて日本へ帰国する。その後、空港バスにて午後二時き帰豊、解散。
最後に今回のツアーを実施した結果、次年度に向けて新たな問題点・改善点を抽出することが出来たと思う。短い期間で多くを子どもたちに期待することは無理があるとは思うが、スタディツアーであるからこそ学習することができることも数多くあるのは事実である。今まで日々の生活に目的も何の興味もなかった子どもたちが何か変わるきっかけとなれば幸いである。いずれにせよ、今回のツアーはスタートであって決してゴールではないことだけは確かである。
 

 
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